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坂本国際墓地

1858年、江戸幕府の大老井伊直弼は天皇の許可を得ずに、アメリカと「日米修好通商条約」を結びます。

この条約で、箱館(今の函館と漢字が違うんですよ!)・神奈川(のち横浜に変更される)・新潟兵庫(実際には今の神戸)・そして我らが長崎の5つの港を開いて、貿易をおこなうことが決定されました。

貿易港になった長崎には外国人がたくさんやってきます。そこで一定地域に限って外国人が住むこと、また商売をすることが認められるんですね。この地域のことを「居留地」といいます。

この居留地、長崎では東山手と南山手の地区が中心です。出島も居留地になります。

そして長崎で亡くなった外国人は、共同墓地に葬られました。その1つがここ、坂本国際墓地です。

1888年(明治21)年に開設されました。ここにはアメリカ・イギリス・フランス・ポルトガルなど、たくさんの外国人が眠っています。

んで、ここにはあのグラバー園の「トーマス・ブレーク・グラバー」と、その子「倉場富三郎」のお墓があります。(「ぐらばー富三郎」→「くらば富三郎」^^)

右がグラバーの墓ですな。見にくくてすみません・・・(**)下の方の大きい字!「トーマス・グラバー」と確かに書いてあるのですよ。

左が倉場富三郎ね。

「グラバー園ってのは聞いたことあるけど、グラバーって結局何した人なん?」って方、結構いらっしゃるんじゃないでしょうか。

↓「グラバー園にクレバー?」(グラバー園にあるグラバーの銅像)


グラバーは、貿易商人です。幕末に長崎に来て「グラバー商会」という会社をつくり、朝廷側の志士たちに銃などの武器を大量に売りました。あの坂本龍馬にも武器を売ってます。グラバーは江戸幕府を倒すのに貢献してるんですな。

しかしそれだけではなくてね、長崎で蒸気機関車を走らせてみたり(日本最初といわれる)、高島炭坑を開発したり、麒麟ビールの前身「ジャパン・ブルワリ・カンパニー」の設立に力を入れたりと、あらゆることをやってます。すごい。

息子の倉場富三郎もすごい。トロール船で日本最初の底引き網漁を行います。また雲仙ゴルフ場をつくるべく努力したのも富三郎です。

たくさんのお墓がある中、彼をご紹介。

ここに眠るは「ピナテール」。彼は1860年に長崎にやってきて、食料品と洋酒のお店「ピナテール商会」を始めた。ピナテールさん、お金持ちなんだけど、恋人がいなかった。

ある日、ピナテールは丸山の遊女、「正木」さんと恋に落ちる。そんでもって結婚する。

しかしこの正木、大酒のみで結婚して3年後それが原因で死んでしまう。

ピナテールはもう悲しくて悲しくて、正木が使ってた朱塗りの枕を形見にして、死ぬまで大事にし、肌身離さずもっていた・・・。再婚もしなかった。

ちょっと悲しいお話だけど、ピナテールはケチで有名で、この枕の中にお金を入れていたと。だから肌身離さずもっていたのだよ。と、いう説もある。(う〜ん)

はい、ここにはユダヤ人も眠ってます。

この区域はユダヤ人の区域。入り口のアーチには「BET−`OLAM」(永遠の住まい)と刻まれている(またまた見にくくてごめんちゃい)

ユダヤ人ね、ヨーロッパでは迫害されるんですけど、ここ長崎ではそんな話は聞かないんですよね。ヨーロッパ諸国の人々と一緒に眠っているこのお墓を見てると、なんかね、長崎って、いいな〜とか、思います。国際性、あるよね。

またヴェトナム人のお墓もあります。


長崎の国際交流の歴史を存分に学べる場所です(^^)


坂本国際墓地  長崎市坂本町




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