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岡田以蔵〜悲劇の人斬り〜

天皇を尊ぶ=尊王」(そんのう

外国人を打ち倒す=攘夷」(じょうい

この思想のもとで、京都において佐幕」(さばく、幕府を第一とする考え方派の武士を撃退していった武市半平太たけちはんぺいた。彼は坂本龍馬の幼なじみでした。

ただ、実際に佐幕派の武士を暗殺していた人物は、武市じゃない。

武市は大物。暗殺は手下にやらせた。

その手下こそが、龍馬と武市の幼なじみであるといわれる岡田以蔵」(おかだいぞう。通称、「人斬り以蔵」。

彼は武市を「先生」と呼び、尊敬していた。そして武市の命令通り、佐幕派の武士を斬って斬って斬りまくった。剣の腕も相当なもの。まるで猟犬のような鋭さだった。

しかし、その暗躍も長くは続かない。

彼は武市とともに縄にかかる。そして土佐藩(今の高知県)に送られ、尋常ではない拷問を受ける。

なぜ以蔵は拷問にかけられたのか。それは彼の「人斬り」という暗躍の実態をあばくことが主の目的ではなかった。

土佐藩の重役に吉田東洋」(よしだとうようという人物がいた。

開国」(国を開いて外国と交流しようとする思想)派であった吉田は、「攘夷」派の武市に売国奴と見なされ、殺された。

以蔵が拷問にかけられたのは、なぜか。それは吉田東洋暗殺の実行犯が、武市であることを吐かせるためであった。

以蔵は、吐かない。「武市先生は、絶対にやってない!」事実を知りながらも、吐かない。

それは全て武市をかばうため。武市を救うため。

尊敬している武市先生は、以蔵にとって神に等しかった。

爪をはがされ、皮がむけ、血肉まみれとなりながらも、以蔵は吐かない。

この世の地獄かと思われる拷問が続いていたある日、以蔵のもとに団子が届いた。武市からの、差し入れだった。

心遣いに涙した以蔵は、団子と共に届いた手紙を読み、愕然とする。

「この団子を食い、死ね。」

団子は、毒団子だった。

・・・。

・・・。

・・・たけちせんせい?

以蔵は悟る。自分がいかに利用されていたか。いかに犬のように利用されていたか。

そして、吐いた。

「吉田東洋暗殺の実行犯は、武市半平太である。」

この発言により、武市、切腹。

身分が武市より低い以蔵には、切腹すら許されなかった。打ち首により、この世を去った。


以蔵の墓が、高知県にあります。

竹やぶをどんどん登っていきます。


・・・さみしさを感じさせる竹やぶです。その中にひっそりと、以蔵の墓があります。



悲劇に生きた「人斬り以蔵」。

彼の人生に哀悼を感じ、献花をする人が絶えません。

自分とは何なのか。組織の中の自分。人との関係性の中の自分。

自分らしく生きるとは、何なのか。自分らしく一度きりの人生を生ききるとは、どういうことなのか。

彼の生涯を見るとき、自問自答を避けることはできません。


岡田以蔵墓   高知県高知市

武市半平太と富〜来世でも一緒になろう〜

いや〜泣きましたわ。

『龍馬伝』。

龍馬の幼なじみである武市半平太(たけちはんぺいた)岡田以蔵(おかだいぞう)。彼らの最期・・・。

史実でない部分が多いとはいえ、龍馬との牢獄での別れのシーンは、彼らの幼なじみとしての友情、これからの龍馬が成す日本の「せんたく」という大仕事を思えば、涙をこらえずにはおられませんでした。

攘夷(じょうい。外国を敵と見なし倒そうとする思想)を貫き狂気の男と化した武市。その最期は、武士としての面目にこだわった男らしい死に様でした。

今日は武市半平太に関する史跡を、まとめて紹介したいと思います。

さて、まずは武市先生の御自宅から。ここです↓

高知市にある武市半平太の旧宅。ここには今武市家とは縁のない別の方が住んでおられますが、現在も当時の間取りを残しています。

ここね、去年の10月くらいかな、行ったんですけど、特別に当時の間取りを残す部屋を見せていただきました!(貴重なんですよ〜)。

武市とその妻富(とみ)はこの屋敷で暮らしていました。

武市夫妻の間に、子はいなかった。富に子ができなかったんです。

家名を相続させることはこの時代大変に重要なこと。場合によっては離縁しても当たり前でした。しかし武市は富を愛し続けました。例えばこんな話がある。

武市家には子が必要だと決意した富は、1カ月家をあけ、代わりに別の女性を一人住まわせた。武市は困惑しつつこの女性と自宅で共に過ごしたが、指一本触れることなく富が帰るのを待った。

帰ってきた富を叱る武市。武市の愛情に涙する富。武市のまっすぐな誠実さが伝わります。

この誠実さは男女の中では素晴らしい愛情あふれる話。

しかし、攘夷思想に共鳴し、武市は狂気の男と化した。彼の誠実さは裏を返せば純粋すぎるということ。そしてその心は、一つの思想をとことん追求していく狂気へと変わっていきました。

そして武市は、土佐藩(現在の高知県)の開国派であった政治家、吉田東洋(よしだとうよう)を、「日本を外国に売り渡そうとする鬼畜」と見なし、部下に命じて殺してしまいます。

↓高知市の東洋殺害現場。ここでまさに東洋は切り殺された。


武市は吉田東洋暗殺後も攘夷派の志士として京都で暗躍。開国派の壊滅を狙いかなり過激な行動を起こしていきます。
↓京都にある「武市瑞山(ずいざん。半平太の別名)先生寓居之跡」。ここに武市は住んでいた。

しかしこういった武市の暗躍も長くは続きません。ついに捕縛されてしまい土佐の牢獄に入れられます。

武市が牢獄に入れられている間、富は「主人が牢で寝ているのに、私だけ床の間で寝るわけにはいかない」と廊下で寝続けました。

武市はきっと、牢の中でも富との絆を感じていたことと思います。

そして、ついに武市の最期の時がやってきます。

腹を三段に切り、切腹、絶命。

享年37歳。誠実な武士として己の信念をひた走った男の、最期でした。
↓「武市瑞山先生殉節之地」の石碑

↓写真にあります「四国銀行」のシャッターの左側あたりで切腹をしたそうです。


武市と富の絆。その絆は現世のみにとどまらなかった。

先ほど紹介した武市の旧宅から少し登ったところに、武市と富の墓が並んで建てられています。

↓「武市半平太墓」

↓「武市富之墓」

激動の時代を生きた夫婦。誠実な愛情あふれる二人の絆は、今を生きる私たちに多くの示唆と、そして多くの感銘を与えてくれています。




武市半平太旧宅   高知県高知市
吉田東洋殉難之地   高知県高知市
武市瑞山先生寓居之跡   京都府京都市
武市半平太切腹之地   高知県高知市
武市夫妻之墓   高知県高知市







平井収二郎〜ミ・ヤ・サ・コです!ヒロスエの兄です!〜

どうもこんばんは。鳥居正洋です。

大河ドラマ『龍馬伝』、ご覧になってますか?

生徒のみなさんは忙しすぎて見れてないかもしれませんね。(かくいう私もここ1カ月はほとんど見れず・・・。そのためこの「龍馬伝スペシャル」のカテゴリーもまったく更新できず・・・。とほほ)

しかし!こないだの日曜ひさーしぶりに見れたんです!

そしたら急展開で、バリバリの攘夷(じょうい)派だった武市半平太(たけちはんぺいた)平井収二郎(ひらいしゅうじろう)らが捕まろうとしているではありませんか!

この2人、龍馬の幼なじみです。

しかし考え方が違うので、別々の生き方をしていました。

ときは幕末。1853年、黒船に乗ったペリーが来航。そして日本に圧倒的な軍事力をもって開国をせまる。

日本の武士たちはムカついた。誰にってペリーたち外国人にですよ。誇りを抱いている自国にズカズカと乗り込んでくる異人たちがムカついてしょうがない。

そんで「攘夷」(じょうい)という考え方が出てくる。すなわち、外国人を敵と見なし、打ち倒してしまえという考え方ですね。そこで武市半平太と平井収二郎はその攘夷派の人間としてバリバリやるわけです。

そんで、またいろいろあるんですけど、結局過激すぎたこの2人、捕まっちゃうんですね。

その一人平井収二郎が生まれた場所、ここです(高知市)↓


平井収二郎は策士として名高いのですが、その行動が問題視され切腹を命じられます。

ドラマでは雨上がりの宮迫博之が演じています。宮迫さんは芸人ながらいろいろとドラマにも出演してますけど、演技、上手ですよね〜。声もええ声しとるし。

来週あたり、ドラマで宮迫さん演じる平井は切腹することになりますが・・・。彼は牢獄に入れられている間、爪で壁に辞世の句を記します。「嗚呼悲しきかな・・・。」と。

この辞世の句は平井の妹、加尾(かお、龍馬の初恋の人といわれる。ドラマでは広末涼子が演じている)が、平井の墓の横に石碑を建てて刻んであげたんですけど、役人に消されてしまうんですね。

しかし、江戸時代が終わり明治時代になった後、再び加尾が平井の墓の横に石碑を建てました。

そしてその石碑は、平井の没後140年を記念して、平井の御子孫の方が平成15年に建て替えられました。
↓高知市にある平井収二郎の墓。

↓そしてその左にある辞世の句の石碑。


平井収二郎、無念の死を遂げましたが、日本という国を憂い想うその気持ちは、龍馬と変わらない、もしくは見方を変えればそれ以上のものがあったといえるかもしれません。


平井収二郎誕生地  高知市山手町
平井収二郎墓  高知市山手町



坂本龍馬銅像〜中居くん?いや、鉄矢か!〜

どん。

どどん。


か〜っこいい。これは有名な高知にある「坂本龍馬像」。

実はこのアングルからの龍馬像にはなかなか会えないんですよ(^^)

高知市では「龍馬伝」に合わせていろいろなイベントを用意しています。

その中に「龍馬に大接近」というイベントがありまして、龍馬像の横にステージを設置して、そこに登って龍馬像を近くから見ましょう、という企画。昨年11月、登って撮ってきました(^。^)

このステージ、なかなかの高さなんですよ。龍馬像は高さ5.3m、台座と合わせると13.4mあるんです。下から見上げる通常のアングルだと↓


高さ、伝わりますか?

この「龍馬に大接近」のイベントは今年もやはりおこなわれるようです。龍馬のファンの方、興味のある方は、ぜひ☆

さて、たくさんの龍馬ファンに愛されるこの龍馬像ですが、完成したのは昭和3年です。

もともとは大正時代に、高知市の一人の青年が龍馬の銅像を建てるため寄付金の呼びかけを開始したのがきっかけです。

その呼びかけはもと宮内大臣だった田中光顕(たなかみつあき)にも届きます。田中は坂本龍馬とも親交があった人物で、宮内大臣という職についていたため、天皇家にもこの銅像の出資を働きかけます。

そして昭和天皇の弟、秩父宮殿下から200円の下賜金を頂くことができました。この資金援助のメリットは資金そのもののみならず、龍馬像建設に天皇家のお墨が付いたことでした。これをきっかけに寄付金が増大し、ついに龍馬像は完成を見るわけです。

「みんな援助をありがとうぜよ。」


そんでこの龍馬像の周囲が桂浜。美しい!あまりにも美しい!

ん?

・・・。なにか真ん中に白いものが見えませんか〜?

なんだろう?そう思ったので近づいてみたら・・・。

「入ってこないでください!」ええっ!?

「カメラはおひかえください!」なんで!?

で、聞いてみたらCMの撮影だそうです。ソフトバンクの。

誰かが龍馬の恰好してるんですよ。でソフトバンクの例の犬と何か話してるのは見えたのですが・・・。スマップの中居君に見えたような気がしたんですが・・・。
↓撮影風景。これが限界(笑)


最近CMやってますよね(^^)武田鉄矢さんでした。龍馬の恰好して犬(お父さん)としゃべってますね。

しかしやっぱり技術だね〜。これだけまわりに人がたかってるのにまわりに何もないように撮れてましたもんね!(合成かな?)

桂浜では龍馬もやはり酒宴をしたり、泳いだりしたんだろうなあってしみじみ感じながら、この美しい海を眺めていると、とてもすがすがしい気分になりました。



龍馬はこの桂浜を見ながら、何を感じているのでしょうか。





坂本龍馬像・桂浜  高知市桂浜



坂本龍馬誕生地〜上士と下士〜

あけましておめでとうございます。

「心の灯こそが人の心に灯を点ずる。」
私の大好きな先哲の言葉です。

「感動」こそが人を動かす。私自身微力ながら、自分が歴史を学ぶことで得た感動を少しづつでも伝えることができるよう、日々努力していきたく思います。何卒本年もよろしくお願い致します。

さて、今回新しく趣向を変えて「龍馬伝スペシャル」というカテゴリーを追加しました。

1月3日、「龍馬伝」始まりましたね。長崎が舞台になるということで期待も高まります。

このカテゴリーでは少しづつではありますが、坂本龍馬に関する史跡を紹介していきたく思います。ドラマと共に楽しみながら龍馬に関する史跡を見ていただけたら幸いです。

さて、1回目はこの史跡↓


さあ、この石碑なんじゃろうか。

ここは高知市。高知といえば昔は土佐藩。そしてこの石碑がある場所は「坂本龍馬誕生地」なのです。龍馬はまさにこの場所で誕生したのです。


よ〜く見たら「龍馬誕生祭」の旗が立ってますね(^^)

さて、龍馬伝の第一回を見た方ならご存知かと思うんですが、タイトルが「上士(じょうし)下士(かし)」でしたよね?なんじゃありゃ、と思った方いらっしゃいませんか?

坂本龍馬は下士身分。そして上士から「下士(郷士ともいいます)の分際で!」と土下座させられるわ、ゲタで殴られるわ、散々でしたよね。

これは土佐藩独特の身分制度なんです。ちょっと複雑になるんですが、戦国時代、土佐には「長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)」という強い武将がいて支配しとったんです。領地を拡大して四国全土を支配し、家臣からも慕われていい感じやった。

その後を継いだ「長宗我部盛親(ちょうそかべもりちか)もなかなかな武将やった。戦国時代が終わり豊臣秀吉の支配下に入るんやけど、まあそれでも長宗我部家は土佐には権力もっとった。

しかししかし・・・秀吉が死んだ後、天下分け目の決戦が起きますよね?

1600年
関ヶ原の戦い。このとき秀吉の後継者石田三成徳川家康が戦ったんやけど、長宗我部家は石田側についてしまうんですな。でも勝ったのは家康。あちゃ〜、味方した方が負けてしもうた。

家康からしたら長宗我部家はそりゃ敵だわな。家康は味方してくれた武将達に領地を分け与えるんですが、土佐藩は山内一豊という武将に与え、長宗我部家は土佐から追い出されてしまいます。ちゃんちゃん。

しか〜し!もと長宗我部家の家臣たちはまだ土佐藩に残ってるわけです。「何が山内家じゃ!コラ!」がるるるる

支配者側の山内家も必死です。「何が長宗我部家じゃ!負けたくせに!」フンガー

そんでもってここに身分制度ができます。山内家の武士は「上士」!長宗我部家の武士は「下士」!上士は上!下士は下!そこでさまざまな規定を設けて、下士は差別を受けていくことになるんですな。

そして坂本龍馬も、その「下士」身分だったわけです。

時代を動かした偉人達は、虐げられ馬鹿にされ、蔑視される環境からそのハングリー精神を養っていったんですね。明治時代、国会開設を求める自由民権運動が始まったのも土佐藩です。

一番苦労した人が、一番幸せになれる。
時代を動かした人間、一流の人間は、その生涯において苦労の闇を突き抜けてきた。



坂本龍馬誕生地  高知市上町



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