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竪穴住居〜奈良時代まで続く住居〜

どうもこんばんは。鳥居正洋です。

生徒のみなさんとブログでコンタクトがとれて大変に嬉しいです(^^)今後もブログで課題をすることもあると思います。よろしくお願いします。

さて、ブログを見て「クラス、番号、『見ました』と一言」とコメントを入れてください、という話でしたが、まずコメントの場所。

記事の一番最後のほうに小さく「Comments」とあります。そこをクリックするとコメントを打てます。

コメントは私がチェックするまで非公開になりますので、御安心ください。安心してクラスと番号、一言をくださいね。クラスと番号が書いてないコメントは公開していますが、クラスと番号を書いてある場合、外に出ることはありませんからね。

さあ今日は竪穴住居。この写真をくわしく見てみる。↓

「竪穴住居」わかりますか?縄文時代の人々の家ですよね。(農村なんかじゃ奈良時代までこのつくりの家だったんだよ)

この写真の竪穴住居は復元されたもの。佐賀県菜畑遺跡(なばたけいせき)(縄文時代晩期から弥生時代前期の遺跡でしたね。稲作がすでに縄文時代から始っていたことを示す大事な遺跡)にあります。

今日はね、この竪穴住居に入ってみようと思うんよ。

ほれっ。

ん〜?中央をよ〜く見て。何がある?

・・・。

わからんかった人。授業でくばったプリントを見てみんしゃい。

これ、炉(ろ)です。↓

ここで火をおこして、縄文土器で食べ物を煮たり、お湯を沸かしたりしたんだね。

さて、この竪穴住居は地面を深さ50cmまで掘り下げてつくられることが多い。こんな感じに↓

これは福岡県須玖岡本遺跡(すくおかもといせき)という遺跡にある、竪穴住居あとの復元です。地面が掘り下がってるの、わかりますよね?

あいている穴は、柱を立てたあと。この柱を掘立柱(ほったてばしら)といいます。

はい、戻って菜畑遺跡の竪穴住居の中にて。じっさい柱を立てたらこうなる。↓

柱を組み合わせ、屋根もつくります↓


竪穴住居は定住するためにつくられたので、けっこうしっかりしたつくりなんですね。なんせ奈良時代まで続く住居やからな〜。昔の人の知恵ってすごいわ。

さあ、狩猟(しゅりょう)にでも行くか!


みなさんに明日また会えるのを、心から楽しみにしています(^^)☆


佐賀県菜畑遺跡  佐賀県唐津市
福岡県須玖岡本遺跡  福岡県春日市

板付遺跡〜米作りは縄文晩期から2〜

こんばんは。

今まで見ていただいていた方、かなりごぶさたになってしまい、申し訳ありません。

そして生徒のみなさん。初めてご覧になった方がほとんどだと思います。

改めてこのブログについて説明させてください。

このブログは、「日本史Bを勉強している高校生、また日本史が好きな方を対象とした、『教科書に出てくる史跡』を中心に実際に私が探訪した記録」です。

また、長崎という郷土を身近に感じてもらい、その歴史の価値を味わってもらうことを目標として、教科書で学ぶ人物・出来事・史跡と関連した長崎の史跡を中心に紹介しています。

ページの左側に「Category」(カテゴリー)と書いてあると思います。そこに時代別に「縄文時代」、「弥生時代」、というふうに書いてあります。見たい時代をクリックすると、その時代の史跡が出てきます。

教科書の範囲を超えているちょっとマニアックな史跡は、「長崎編」「大村編」など、史跡がある地名でカテゴリーをつくっていますので、興味のある方、極めたい方はどうぞ(^^)

授業で「見てきてください」と指示を出すこともあると思いますが、堅苦しい内容ばかりではありませんので(いや、マジに)勉強の合間にでも、休憩時間のつもりで読んでいただけたらと思います。

そして、このブログは携帯電話でも写真つきで見れます。

なかなか更新もままならないときがあるかもしれませんが、何卒よろしくお願い致します。

さて、まず今日ひとこと言いたいこと。

生徒のみなさん!!すばらしいです!!

あなた方の授業の集中力学ぶことを楽しもうという姿勢、マジにすごい!リスペクトです。

まだ授業始って間もありませんが、みなさんの姿勢に感動しています!全力でみなさんの学習を支援しますので、今度ともよろしくお願いします(^^)

さあ、今日紹介する史跡はこれです↓


ここは福岡県にあります板付遺跡(いたづけいせき)

今縄文時代の勉強をしていますよね?縄文時代の食料を得る方法といえば、何でした?

・・・。

そう、狩猟(しゅりょう)・漁労(ぎょろう)・採取(さいしゅ)でしたね。

狩猟、すなわち獲物を狩ること。

漁労、すなわち魚や貝など海産物を取ること。

採取、すなわち木の実などの植物を取ること。

この3つが基本です。

米をつくる、すなわち生産するという食料を得る方法が本格的に開始されるのは、弥生時代になってからです。(縄文時代→弥生時代)

しかし!実は縄文時代の晩期(最後の方)ではもうすでに稲作がおこなわれていたんです!

それを証明する遺跡が、この福岡県の板付遺跡なんです。そしてもう一つが、佐賀県にある菜畑遺跡(なばたけいせき)です。(この記事も「縄文時代」のカテゴリーにあります。ついでにぜひ見てみてください。)

板付遺跡は縄文晩期から、弥生前期まで続いていた村の遺跡なんですね。田んぼの跡は復元されており、米をつくっております↓

↓さらに復元された村の中には・・・

↓おお〜竪穴住居(たてあなじゅうきょ)じゃ〜!


縄文時代の住居といえば、竪穴住居ですね!(「堅」と書かないように注意ね)縄文人は、旧石器時代人と違って定住生活をしたんでしたね!しっかりした家をつくって住んだわけです!

↓そしてこれは貯蔵穴(ちょぞうけつ)です。


土中に穴を掘って、ここに食料なんかを保管するわけです。この貯蔵穴は貴重な食料がつまった倉庫ですから、どうもまわりと区画するために溝をほったようですね。穴のまわりに溝があるの、気づきましたか〜?
↓ねっ!溝!



そしてもうひとつ、この石を見てください↓


この石、何だと思います?

この石、実はこの板付遺跡のリーダーの墓の上に置いてあったそうなんです。この石が置かれていた場所から甕棺墓(かめかんぼ、甕に人を入れて葬る)が出てきて、銅剣銅矛(どうほこ)なんかが一緒に出てきた。どうもえらい人みたい。

今はこのリーダーの墓が板付遺跡のどこにあるかはわかっていないんですが、この大石がその墓の上にあったということだけは確からしい。

稲作が始まって身分の差が生まれてきたことがここからわかります。これ、大事よ。

以上のように板付遺跡では、縄文晩期から弥生前期にかけての社会の様子がわかるように復元されています☆みなさんもいつか機会があったら出向いてみてください(^^)

歴史は、おもしろい!!


板付遺跡  福岡県福岡市
















菜畑遺跡〜米作りは縄文晩期から1〜

 「菜畑遺跡。佐賀県唐津市にある縄文晩期〜弥生前期の遺跡です。

この菜畑遺跡は縄文晩期の水田跡が発見されたことで話題となりました。(近年は弥生前期の水田跡とする説が有力になっています。)

菜畑遺跡を含め唐津市周辺は、「魏志倭人伝」にのっている末廬(まつろ・まつら)国があった場所とされています。そのことにちなみ、ここには末廬館という博物館が併置されています。

炭化米や石器類、中国との交流を思わせる銅鏡などが展示されています。

私が特に目を引いたのは穴のあいたブタの下あごの骨。ブタの頭部に木を突き刺し、祭礼に用いたのではといわれています。う〜む。

はい、他には当時を再現した竪穴住居。弥生中期のものと比べると少し小型です。

これは死者を葬った支石墓。佐賀市の宇木汲田遺跡から発掘したものをここに移したものです。

また「縄文の森」として、菜畑に生息していたシイ・カシなどの木々が植えられています。

そして近くの小学校や幼稚園の子どもたちなどが参加して生産に関わった、水田跡が再現されています。総合的な学習の一環。いいですね(^^)

子どもたちが歴史を学べる場として生かされていることが、大変に嬉しく感じた場所でした。


菜畑遺跡  唐津市菜畑3359−2

縄文土器〜草創期の土器、発見〜

縄文土器」。これ、土器の表面に縄目の文様がついてるのが多いんですよね。だから「縄」文土器。

で、この縄文土器は、形の特徴によって時期をふつう6つに分けます。

すなわち、「草創期→早期→前期→中期→後期→晩期」の6つです。

さて、佐世保に福井洞穴という洞窟があります。ここからたくさんの土器が出土したんですが、むちゃくちゃ古い「草創期」の土器が発見されたんですね。「隆起線文土器」です。

階段を上ると・・・?

おお〜!これが福井洞穴じゃ〜!


福井洞穴は、約6mの土の堆積がありまして、上層部は「早期」、最下層部は旧石器時代にまでさかのぼるんですね。なので、旧石器時代から縄文時代にかけての遺跡ということができるわけです。

ちなみに「隆起線文土器」よりもさらに古い「豆粒文土器」が、同じく佐世保の「泉福寺洞穴」から発見されています。


福井洞穴  佐世保市吉井町

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