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岩戸山古墳〜石人・石馬は大切に〜

生徒のみなさん!

高総体、本当にお疲れ様でした!

見事大勝利を遂げた部のみなさん、本当におめでとう!!

死に物狂いの努力、忍耐強い信念の行動の結果ですね。すばらしい!感謝と誠実さを忘れずに、これからも大勝利の日々にしていきましょうね!

残念ながら敗退してしまった部のみなさん。「負けないこと」が何よりも大事です。

私もとても弓道部の諸君と・・・悔しい思いをしました。

しかし、頭をあげ、胸を張りましょう!!次への勝利のため、前進を雄々しく開始しましょう!すべてはこれからです!! 

さあ、今日はこの史跡を紹介!


これ、何でしょ?

こんもりした森?正解は、古墳です。前方後円墳の円墳の部分。

この古墳、福岡県にある岩戸山古墳(いわとやまこふん)です。

古墳時代にその勢力を拡大したヤマト政権でしたが、ヤマト政権は連合政権であり、大王(おおきみ)が支配力をもっているとはいえ、強大な政権とはまだいえない部分があった。

「何で俺らと同じくらいの勢力でたいして違いない、ヤマト政権ごときに従がわないかんのじゃ!」と反旗をひるがえすヤツも出てくる。

福岡県のあたりは昔、「筑紫(つくし)」と呼ばれていた。ここにヤマト政権の地方官である「国造(くにのみやつこ)」に任命された「磐井(いわい)」というおっさんが住んでいた。

この磐井、かなり強力な豪族です。その磐井がヤマト政権に反乱を起こしたんですな。527年、磐井の乱です。

この磐井がびっくりなことに、朝鮮半島の強国新羅(しらぎ)と結んでヤマト政権にケンカを売ったんですな。

かなりの大戦争になり、ヤマト政権も軍人のプロである物部氏(もののべし)を派遣してようやく鎮圧しますが、なかなかに大変だったようです。

この岩戸山古墳には、その磐井が眠っているといわれてるわけです。

そして岩戸山古墳には、これ!↓


そう、石人・石馬(せきじん・せきば)がある!

これは朝鮮の流れを組むといわれる石製品で、石で人や馬の形を彫ったもの。
↓「やっほ〜」

↓「・・・・・・。」


これね、見に行ったんよ、実際。

「ああ、これが有名な石人・石馬か〜」



歴史のロマンを感じていたら、

「ぼがっし!!!」

野球ボールがこの石人に思いっきりぶつかった。

「!!!????」

なんと小学生らしき子どもがこの石人にボールをぶつけて遊んでいるではないか!

「くおらー!!!」

あせった。これは大切な文化財だろが〜〜〜〜☆!????

とかパニクってたら・・・。

これ、レプリカでした☆

そりゃそうだよね・・・。本物をこんな野ざらしにすることないわな(本物は近くにある史料館の中にあります)

しかしだからといってボールなんかぶつけちゃダメばい!(−−)
↓「痛いからやめてくれよ〜」

↓「ほんとだヒヒ〜ン」


古代のロマン、そして磐井の強大さを想わせる岩戸山古墳、必見!!


岩戸山古墳  福岡県八女市

大仙陵古墳〜魚釣り禁止!・・・。〜

大仙陵古墳」(仁徳天皇陵。5世紀頃につくられた日本最大の前方後円墳であり、全長は何と486m。

ここ、宮内庁が管理してて、一般の立ち入りは禁止されてます。古墳のまわりにあるお濠を含めると面積は約46万平方m、周囲の長さは2718km!とんでもない大きさです。

ぐるっとまわってみました。ここが参拝堂の入口です。

進めや進め。

確かにお濠。

おお、正面まであと1kmじゃ。

鳥発見。

ん?


・・・。

はい、もうちょい、あと150m!

んで、とうちゃ〜く。ここが正面です!仁徳天皇陵は前方後円墳、ここはその前方後円墳の「方墳」の正面になるんですな。


この大仙陵古墳を中心にして、周囲には50基に近い古墳が確認されています。それらをまとめて百舌鳥(もず)古墳群というんですね。

前方後円墳〜県内最大級!これがひさご塚だ!〜

そもそも「古墳」って何?
古墳とは、昔の権力者のお墓です。
エジプトの王族のピラミッドのように、死んだ後も「自分はすごいんだぞ」ということを示すために大きくて目立つお墓をつくるんですね。

日本にこの「古墳」がたくさんつくられた時代を「古墳時代」といいます。だいたい4世紀から7世紀です。「古墳時代」は、時期を前期・中期・後期と分けることができます。

また、古墳はその形から、丸い「円墳」、四角い「方墳」と形で区別をします。そして前側に「方墳」、後側に「円墳」がある古墳を「前方後円墳」といいます。

「前方後円墳」は、前期に近畿地方を中心につくられ、中期に全国各地でつくられるようになりました。これは、近畿地方にあった「ヤマト政権」という王朝の支配が全国に広がったことを示しています。「ヤマト政権」とは、「大君」(天皇)を中心とする政治組織です。

その前方後円墳、長崎には25か所ほど知られていて、ほとんどが壱岐・対馬にあるのだけれど、
東彼杵に県内最大級の前方後円墳があります。
その名も「ひさご塚古墳」。


ひさご塚の「ひさご」とは「ひょうたん」の意味。形がひょうたんに似ているのでこの名がつきました。
全長は51.8m、5世紀はじめにつくられたといわれています。

↓これがひさご塚だ!写真を見て奥が「円墳」、前側にあるのが「方墳」です。

高速の東彼杵インターを出て十字路をまっすぐいくと左手にあります歴史公園「彼杵の荘」の中にこの古墳、「どっかり」と存在してます。
↓大きさ、わかりますか?
ひさご塚古墳
↓円墳からの眺め☆

今から約1500年前、この地域を治めていた豪族の墓で、私が立っている円墳の下に、「石室」という埋葬施設があり、その中に埋葬されていたんですね。
↓古墳の横にはその「石室」の様子がわかるように復元したものがあります。(竪穴式石室


中には矢じりや鉄剣、ガラス玉などの副葬品(死んだ人と一緒に葬る宝物)も見つかっており、横にある史料館で実物を見ることができます!

みなさんも一度「前方後円墳」を東彼杵で体験してみませんか?おみやげもたくさん有☆売店で売っている抹茶アイスは大変美味です(^0^)


ひさご塚古墳  東彼杵郡東彼杵町彼杵郷430番地5 

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