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奈良の大仏〜柿食えば鐘が鳴るなり東大寺〜

「先生、ちゃんとブログ更新しなきゃダメですよ。」

先日廊下で授業に行ってないクラスの子に言われました。本当にありがとうございます。このブログを見てくださっているみなさん、更新が大変に遅れてしまい申し訳ありません。

生徒のみなさんだけでなく、一般の方からもコメントをいただくことも多くて、本当に励みになります。本当にありがとうございます。

なかなか更新がままならないときもあると思いますが、今後とも何卒よろしくお願いいたします。

さて、今日はですね、まず一句読ませていただきます。

「柿食えば 鐘が鳴るなり 東大寺

・・・。

・・・んん?なんか、変。

そうですよね(^^)やっぱこれでしょ↓
「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺

この超有名な俳句は、明治時代に俳句の世界に革命を起こした正岡子規(まさおかしきの歌。いや〜なんか情景が浮かびますねぇ。柿食ってたら、こう、「ゴーン」と法隆寺の鐘が鳴る・・・。そういやそろそろ柿がおいしい季節・・・。

この鐘が東大寺だったらどうでしょ?一回音読してみてください。

・・・。どうです?やっぱ法隆寺の方がよくないですか?

これね、実は正岡子規が聞いた鐘の音は東大寺なんです。だけど何か響きがおかしいから、法隆寺で聞いたことにして書き変えたんと。

↓と、いうわけで今日は東大寺です。

↓正岡子規の聞いた東大寺の鐘。今も設置されてるんですよ〜。

↓天才がインスピレーションを湧かしたのはこの鐘なんですな。

いや、実際法隆寺でも鐘の音聞いたんですよ。だけど、俳句が浮かんだのはこの鐘だったんですね。

東大寺は奈良時代の文化である「天平(てんぴょう)文化」を代表するお寺です。

そして東大寺といえば、
↓はい、大仏です。

↓「ぬ〜ん」


東大寺の大仏は、聖武(しょうむ)天皇のが743年に出した「大仏造立の詔」という命令に従い造られました。正式名称は「盧舎那仏(るしゃなぶつ)」といいます。

当時は天然痘がはやったり、政権をめぐり骨肉の争いが起きたり、はたまた「藤原広嗣(ひろつぐ)の乱」という反乱が起きたり(740年)…と、大変おだやかじゃない状況だった。

そこで聖武天皇、「こんなに国が乱れているのは、わしが仏教を信仰しないからや〜!」と、国家のリーダーが仏教を信仰すれば国が平和になるという思想、「鎮護国家思想(ちんごこっかしそう)にハマっていきます。

そしてまず741年に「国分寺建立の詔」という命令を出して、国中にお寺をつくりまくった。このとき造られたのが「国分寺」で、尼さんのお寺が「国分尼寺」。

続いて743年に大国家プロジェクトとして、大仏をつくる命令を発したわけです。

といっても、大仏つくるのには人と金が必要なわけで。当時は農民を酷使して税をとっているんですが、ただでさえ重労働で働かせてるのに、大仏造るから手を貸せと言ったところで納得しない。

そこで聖武天皇は農民に人気だったお坊さん「行基(ぎょうき)」に目をつけ、彼を工事責任者にして農民たちを動員することに成功しました。

さらに743年に、「新しく開墾した田んぼはず〜っとあなたのものですよ〜。ただし税の米(これを租[そ]といいます)は払ってね〜。」という命令、「墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)」を出しました。

当時農民たちは、生きている間だけ口分田(くぶんでん)という田を国から貸してもらい、そこを耕して租を納めていたんですね。でもこれじゃやる気がでなかった。

そこで、開墾した田は永久に自分のもの、私有地にしていいという法をつくった。これはうまくいった。どんどん税収入が増えていき、大仏完成に大きくプラスになりました。

そして完成したのがこの大仏なわけです。


ちなみにこの大仏、長い時代の間に放火や災害で焼け落ちたりして、何度も再建されてます。頭の部分は江戸時代、胴体は鎌倉時代の再建です。

ではこの奈良時代に創建されたときの部分は残っていないのか??

実は、残っているのはこの部分!

↓・・・??


なんじゃこりゃ?と思われたと思うんですが・・・(^^)これはですね、大仏の台座にある「蓮弁(れんべん)」です。蓮の花びら。これは創建当時のものだそうです。

長い歴史を経て、現在も観光名所として安置される奈良の大仏。創建当時の国家の状況を踏まえて見てみると、ちょっと違った表情に見えてきます。


東大寺  奈良県奈良市









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コメント

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  • 2010/10/15 19:13

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  • 2010/09/21 21:03