スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

紀貫之〜表現豊かに想いを記す〜

国風(こくふう)文化。平安時代、藤原氏がものすごい権力をもっていた時期に栄えた文化です。

古代、日本という国の文化は、遣隋使遣唐使の活躍もあって中国の影響をかなり受けていました。

しかし894年菅原道真(すがわらのみちざね)の訴えにより遣唐使は廃止され、これまでの中国文化を消化し発展させた、日本風(=国風)の文化である、国風文化が栄えていくことになります。

国風文化で特徴的なのは、ズバリ「かな文学」。そう、平(ひら)がな片(かた)かなですね。

生徒のみなさん、メールを友達に送るとき、「絵文字」(^^)使うでしょ?

もしくは漢字で書くと何か雰囲気が重〜くなるような気がして、わざと平がなで文章つくってメール送ることって、ないですか?

≪漢字使用≫「今日皆で一緒に遊びに行かない?」
≪平がな≫「きょうみんなでいっしょにあそびにいかない?」

ん、確かに平がなの方がやわらかい感じはするわな。

で、もういっちょ

≪ギャル文字≫「今日、ゐωTょτ〃一緒レニ遊ひ〃レニ行ヵゝTょレヽ?」

もはや理解不能でござんす(笑)。ちょっと前流行りましたよね(^〜^)今もあるのかな?ギャル文字。

この変換はわかりませんでしたので、ギャル文字に変換してくれるサイトを発見し、そこで自動変換してもらいました(笑)。

こういった若い世代の文字の変化は、自分たちで新しい表現をつくっていこうという姿勢があるという意見や、大切なきちんとした日本語が失われていくという意見、様々です。

私はやっぱりきちんとした日本語を生徒のみなさんには知っていてほしいです。その上で、表現を豊かにするのはアリかも。

知った上で使ってるのと、知らないで使ってるのは違うからね。やっぱり公的な正しい言葉は知っとかんば(^^)。

さて、国風文化の時期に日本最初のかな日記が誕生しました。そう、紀貫之(きのつらゆき)の『土佐日記です。

この土佐日記が出るまでは、日記は漢字で書かれていたんですね。で、内容はというと、自分の家柄の歴史とか、宮中との関係とか、子孫に伝達するために残す、という意識が強かった。

感情を書き記した私的な内容の日記ではないんですね。みんな漢字できちっと書いてある。

そこで感情を表現するために紀貫之はかな文字を使用することにしたわけです。

土佐日記は土佐の国司となった紀貫之の、船で移動する際の怒りや、子どもを失ったことへの悲しみなどの感情を豊かな表現で描いています。

その紀貫之が土佐から京へ戻るときに船出した場所、ここです↓

この石碑は、高知県の大津小学校の敷地内にあります。石碑の左側には川がありますが、昔は一面に大きく湾が広がっていました。


船出の際、紀貫之は詠んでいます。

「都へと思ふものの 悲しきは かへらぬ人の あればなりけり」

都へ帰ろうと思うものの、悲しいことに愛しいわが子は帰ってこないのだ、と想いを表現しています。

子どもへの愛情を詠んだ紀貫之の出航した石碑が、子どもたちが元気に輝く小学校の敷地にあることが、とても縁を感じずにおれません。



紀貫之船出の地碑   高知市大津乙

スポンサーサイト

コメント

管理者の承認待ちコメントです。

  • -
  • 2011/05/02 00:10

管理者の承認待ちコメントです。

  • -
  • 2010/11/09 19:21

初めてブログ見させてもらいました。
想像以上に本格的かつ緻密な分析力
なおかつ非常に分かりやすくて良いですね。
先生のブログを拝見させてもらうと
生徒さんにとっては頑なに感じばかりが並ぶ日本史の
教科書も宝の山に見えて来るのではないでしょうか?
やっぱり人は過去を知りたがる生き物なんだなと
あらためて感じました。
今後の更新も楽しみです。でわ。でわ

  • mikomatsu
  • 2010/11/08 18:17

ちゃんと漢字とひらがなつかいますね★笑 更新頑張ってください★おもしろかったです(^o^)

  • 生徒
  • 2010/11/02 19:06