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高杉晋作〜心を変え未来を変えよ〜

歴史とは過去の人間との対話である。と私は思っています。

現状、生きる中でつらいことや苦しいことがあったとき、それを打開する鍵が、私たちより先を生きてきた先人たちの生涯に必ずあります。

それを学び、そして「今」に勝とうと奮闘できることが、歴史を学ぶ大きな醍醐味であると思っています。

数年前、とてもつらいことがありました。そして私は過去のある人物と対話に行きました。

その人物とは、高杉晋作(たかすぎしんさく)です。

 「動けば雷電の如く。発すれば風雨の如し。」と評された幕末の風雲児、高杉晋作。

龍馬伝で伊勢谷さんが演じてましたね(^^)かっこよかよね〜。

彼が行ったことで有名なのは、町人や百姓などの武士以外の身分の人たちを中心に「奇兵隊(きへいたい)」という部隊を結成したこと。

この奇兵隊の構想は、後の徴兵令(ちょうへいれい)につながっていきます。武士という限られた立場の者だけが戦うんじゃなくて、国民全体が兵役の義務を負う、兵隊になるというシステム。

彼は吉田松陰の弟子となり、その力に磨きをかけ、江戸幕府を倒すべく行動していきます。

しかし!晋作は長州藩(今の山口県あたり)出身なのですが、長州藩はその方向性を問われていました。すなわち、幕府に従い味方するか。それとも「討幕」、幕府を倒すか。

晋作はがぜん幕府を倒す気でいるわけですが、長州藩政府の重役は幕府に従う気でいました。

「このままじゃいかん!幕府に従っていては長州藩の未来はない!」そう思った晋作は藩論を討幕へともっていくため、長州藩政府と戦う決意をします。

晋作は味方を集めるべく長州内の各部隊に協力を要請します。まず最初に自らがつくった奇兵隊に行きます。当時奇兵隊のリーダーは晋作ではありません。山県狂介(後の総理大臣、山県有朋)です。

しかし山県はこの誘いを断ります。「藩政府軍と戦ったところでどうせ負けるさ。俺らはやらないよ。」

あきらめず晋作はその他の部隊にも誘いをかけますが、み〜んなお断り。みんな藩政府軍と戦っても負けるに決まっているの一点張り。

挙兵の日。集まった人数は、1人。

そう、高杉晋作たった1人。

彼が挙兵した寺がここ↓下関の功山寺(こうざんじ)


藩政府軍との戦いが始まり、もうだめか、というその時!何と晋作の呼びかけに答えた部隊が駆けつけました!「晋作さん!一緒に戦いましょう!」

何とその後続々と部隊が集結し、最後には奇兵隊も参加し大勢力となりました。結果、晋作は藩政府軍に大勝利を果たしたのです!

彼の熱い魂が、部隊員の魂に灯を灯しました。そして藩論は一気に討幕へと傾きます。

「長州男児の肝っ玉をお見せ申す!」↓高杉晋作銅像

「ぬんっ!」


大活躍の晋作ですが・・・死期が迫っていました。

肺結核を患っていた晋作は1867年4月14日、療養していた屋敷で没しました。享年29歳。



彼は死ぬ寸前、読みました。

「おもしろき こともなき世に おもしろく」

「おもしろくもない世の中だけど、おもしろく生きていきたい。」29年というあまりにも激動である、あまりにも早すぎる生涯を振り返った歌でした。

死に立ち会った親友はこう返歌しました。

「すみなすものは 心なりけり」

「それは心ひとつで決まる。」おもしろくもない世の中を、おもしろくしていくのは自分の心次第だ。

心こそ大切なれ。幸福なのか不幸なのか。それは己の心が決める。

その返歌を聴いた晋作はこう言って息を引き取りました。

「・・・おもしろいのう。」

晋作の墓が下関の東行庵(とうぎょうあん、東行は晋作の別名)にあります。



この墓の前で、私は晋作と対話しました。

即座に怒鳴りつけられました。

「それくらいの悩みでへばってんじゃねぇよ。」

「自分の心を変え、未来を変えてみろ。」

「俺は、そうしたぜ。」




功山寺  山口県下関市
高杉晋作終焉の地  山口県下関市
東行庵  山口県下関市


 

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コメント

いやーやはり幕末の偉人達の言葉を
聞くと今の時代にはない
かっこよさがありますねー…
何事にも筋が通ってて素敵です|ω´)

  • 幕末大好き人間
  • 2014/03/07 20:37