スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

ルイス=フロイス〜ノブナガサマハコエガタカイネ〜

「楽市楽座」というゲームセンターがある。

ちょっと昔織田信長がこのゲームセンターのCMに出ていた。

織田信長って、役者が信長になって出てるんじゃないですよ。一般的によく見る織田信長の肖像画。著作権の関係でここには載せられませんが、あの肖像画をCG加工して出演させていたんです。

信長は扇子をもって踊りながら、「ら〜く〜いち〜らくざっ!」って叫ぶ。(幸若舞のパロディか?)

ゲームセンターの名前「楽市楽座」は、織田信長がおこなった政策の「楽市・楽座」をもちろんさしているのでしょう。当時は販売を独占する権利を得た「、という組織がありました。販売の独占権というのは、例えば、ある場所では油を売ることは1つの会社だけに認められていて、それ以外の会社は油は売っちゃいけません!っていうことです。他の会社にとっちゃいい迷惑ですよね。

信長は自分の領地でその「座」を認めない法令を出しました。自由に商売をおこなっていいですよ、と認めたんですね。

で、このことも大事なんですけど、もう1つ。

このCGの信長、「ら〜く〜いち〜らくざっ!」って叫ぶ。この声、やたら高い声だったんです。

だからなんやねん。うん、実はね。

信長は高い声だった。という当時信長に会っていた人の記録があるんです。

「はなはだ声が高く彼が誰かを呼べば部屋の外で百名もの家臣が一斉に返事する」という記録がある。この記録を書いたのが、ポルトガル人宣教師、ルイス=フロイス。彼は信長と秀吉に仕え、実に詳しく彼らのことを書いています。

例えば信長については、「三十七歳長身やせ型で、ひげはほとんどありません。〜正義や慈悲を重んじ、尊大で名誉欲が強いです。〜規律や家臣の進言にはわずかか、もしくはほとんどまったく耳を傾けず、諸人からきわめて畏敬されております。〜家臣の待遇については厳格で、日本のすべての国王・領主を見下しており、自分の家人や家臣であるかのように肩の上から彼らに話をします。」(わかりやすいように改訳しています)

う〜ん。いかにも私たちがイメージしている信長に近いと思いませんか?
現在の信長像に大変に影響を与えているといえるでしょう。

ただね、声の高さだけはどうかな。よく大河ドラマで信長っていえばこう、渋い人がなりますよね。『秀吉』のときの渡哲也とか、『功名が辻』の舘ひろしとか、最近でいえば『天地人』は吉川晃司か。

なんかだいたい声が低くてシブいんよね。もう渡哲也とかさ。「猿!!」と呼ぶときとかさ。
ありゃ〜ウソじゃないかな〜。

ルイス=フロイスがいっている「声が高い」っていうのはかん高い声を指しているのではと。そう考えるとね、ゲームセンター「楽市楽座」のCMの信長の声、微妙にマッチするんですよ!(^^)高いんですよね。ちょっと奇声に近いですけど(笑)

そういえば織田家の17代目、フィギュアスケートの織田信成選手、声高いですよね。やっぱり血を引いてるのかなあ、何て思うんですけど。

ルイス=フロイスが記したこれらの記録は、『日本史』といいます。彼は長崎の横瀬浦から日本に上陸しました。時は大村純忠がポルトガル人と貿易をおこない、横瀬浦が栄えていた1563年です。
↓フロイスがたどり着いた横瀬浦の港


フロイスの銅像がこの横瀬浦の港近くに立っているということで、探してみる。

・・・。

どこ?

あっ!


きみはひょっとして・・・


「ソウデース!ワタシガルイス=フロイスデース!」



思わず握手しちゃいました(^^)

フロイスは平戸から京都へ向かい、信長に会い、キリスト教の布教を認められるんですね。

しかしその後、秀吉がバテレン(宣教師)追放令を出したあと、長崎に帰ってきます。そしてあの26聖人殉教の事件も記録に残すんですね。フロイスは彼らの最後を見届け、記録に残します↓

↓26聖人殉教地にある、フロイスを記念する石碑。


その後、長崎で死去。何とも長崎と縁の深い方でした。

ちなみに横瀬浦には天主堂(教会)の跡を示す石碑が立っています↓

ただ、実際に立っていた場所は公園脇の細い道路沿いらしいですけどね。

ほのぼのできてよい場所です(^0^)横瀬浦★ぜひ1度はおいでませ。


横瀬浦公園  西海市西海町横瀬郷
26聖人殉教地  長崎市西坂

スポンサーサイト

コメント
トラックバック
この記事のトラックバックURL